自分の頭で考えた結果

これからも定期的に問題提起を兼ねて書いていこうと思います。よろしければ読者になってください。

今すぐランニングをやめてタバコを吸ってくれ

最近は喫煙者はどんどん減り、ランニングがブームだという。

たばこは自分が食事をしているときに吸われると非常に不愉快だし、コミケ帰りの電車の異臭と同レベルにくさいものであるので、自分の周りから喫煙者が減るのは喜ばしいことではあるのだが、実は日本にとって非常に良くないことだ。

 

仮定として、喫煙者は肺ガンになる確率が高いとしよう。ここについての議論は他に任せる。

その仮定の上で喫煙者がいなくなると、まず医療費はどうなるだろうか。

一見すると肺ガンが減ったぶんだけ医療費も減りそうだが、それは健康に自然死した場合だけだ。

肺ガンにならなかった代わりに10年後に胃ガンになりました、だと医療費は変わらない。

10年先送りされるだけだ。

人は必ず死ぬが、医療費がかからない形での死については研究が遅れているように思える。

国民一人が一生のうちにかける医療費を、減らしていく方向にはならないものか。

 

介護はどうなるだろうか。

肺ガンで70歳で死ぬはずだった人が80歳で胃ガンで死ぬようになると、伸びた10年は介護を必要としていてもおかしくない10年だ。

つまり、介護負担は増えることになる。

タバコをやめて健康になったせいで、社会は10年分の介護負担を強いられるのだ。

 

次にランニングの話をしよう。

ランニングをすると病気に対しては健康になるが、腰やヒザを痛めやすいので、より早く介護が必要になる。

病気に対して健康になるとはいえ、寿命は延びるものの結局最後はガンで死ぬとなると、医療費は減らない。

するとランニングは、医療費そのままに介護負担を増やす行為と言える。

10年早く介護が必要になり、寿命が10年伸びたりしたら、ランニングによって介護負担は20年分伸びることになる。

 

伸ばすべきは介護を必要としない健康寿命であり、いたずらに介護寿命だけを伸ばすのは社会負担を増やすことにつながる。

健康寿命=寿命、つまり自分の足で生きていけなくなった時点で病気で死んでしまう社会というのが、介護負担的には一番楽な形で、なるべくこれに近づけていくのが日本の目指す社会だ。

ひとりひとりが自分の目先の健康だけを追い求めた結果、社会全体としては介護負担が増えるという合成の誤謬が起こっている。

 

頼むから、ランニングなんてしないでタバコを吸ってくれ。