自分の頭で考えた結果

これからも定期的に問題提起を兼ねて書いていこうと思います。よろしければ読者になってください。

ドヤ顔で「シンプルに考えようぜ」って言ってくるヤツ

最近、シンプルって言えば俺賢いみたいに思ってるヤツが多い。

 

まず、流行りのシンプルには2つある。「シンプルに考える」と、「シンプルに作る」だ。これらは等しく罪ではあるのだが全く別の概念なので、1つずつ説明していく。今回のテーマは「シンプルに考える」だ。

 

「シンプルに考える」は、たくさんの要素を同時に考慮しようとすると話が複雑になるので、影響の小さそうな要素を切り捨てて、影響の大きな少数の要素のみの簡単なモデルで考えようという発想だ。これだけ聞けば良さそうだが、大きな落とし穴がある。

 

例えば渡辺美樹の考え方は非常にシンプルだ。彼は自分の経験をもとに、24時間365日、必死にお客様のために働けばうまくいくし、結果が出せないヤツは切り捨てられて当然だと本気で思っている。そしてこれは実際に、ある側面から見れば正しい。彼にとっては、心の底から正義だ。

 

もちろん、大多数の庶民にはそうは映らない。みんなそんな頑丈じゃないし、たいてい勝者より敗者のほうが圧倒的に多い。でも渡辺美樹にとっては、それは切り捨てていい要素だった。影響の小さい要素だった。ここに罠がある。

 

誰だって、一度に考える要素の数は減らしたい。でも、減らす時にどの要素を残してどの要素を削ろうとするかは人によって全然違う。「シンプルに考えよう」って言い出す人は、自分が考えたくない要素を切り捨てようとしているだけのことがある。自分がどの要素を重要だと思っているかの、その判断を押し付けようとしているわけだ。

 

逆に自分から見て、「なんであいつは物事をシンプルに考えられないんだ」って思える相手には2パターンあって、1つはそいつが要素に優先順位を付けられないパターン。どの要素も重要に見えてしまうから、全部の要素を同時に考えようとしてしまうパターンで、これはある程度力量不足だから仕方ない。

 

そしてもう1つ、こっちの方が根が深いんだが、単に自分と相手でどの要素を重要だと思うかがズレている場合だ。自分はAとBの要素が重要だと思っているのに、相手がCの要素についてゴチャゴチャ言っている場合、どうしてあいつはシンプルに考えられないんだ、と感じてしまうことがある。でもそのCの要素は、相手にとっては切り捨てるなんてとんでもない、重要な要素だったりするわけだ。

 

お互いが自分の正義を基準にして、シンプルに考えようとしている。バカだからじゃなくて、シンプルに考えようとするからこそ、正義の基準が違う時に話が合わない。そんなとき、相手から見える自分は、渡辺美樹そのものかもしれない。

 

いろいろな要素を考えた上で取捨選択するのが正しいシンプルの使い方だ。シンプルは、早く結論を出すための近道ではない。むしろ洗練の先にあるゴールがシンプルなのだ。